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両国橋(りょうごくばし) # 徳島県徳島市を流れる新町川に架かる橋である。 # 徳島県徳島市の町名。新町地区に属している。郵便番号は〒770-0917。 == 歴史 == 1872年(明治5年)、徳島市街に流れる新町川の両岸(現・両国橋)の街の賑わいにもかかわらず渡船場もなく、橋がなかったことに着目した藤本幸平が、徳島県の許可を得て渡し舟を開業する。しかし、両岸には道もない葦原であったため利用者は1日20人程度と少なかった。そこで、1877年(明治10年)に自己資本で両岸に道路を完成させたことから利用者が増加、船場町濱側に住宅を建設した。1881年(明治14年)には渡し舟の利用者が1日1000人を超す盛況となる。利用者の増加に伴い、渡し舟を利用できない人も発生しはじめたことから、新町川の両岸を架橋する橋のニーズが高まるようになった〔『御大典記念 阿波人物鑑』、 徳島日日新報社、1928年〕。 藤本幸平が徳島県当局に架橋の陳情を続けた結果、自費(藤本幸平の個人出資)の私橋としての架橋という条件で、徳島県から15年間の利用を許され〔『徳島県人名事典』、徳島新聞社、1994年〕、1882年(明治15年)通行料を取る賃取橋として架橋された〔角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(36.徳島県)』、角川書店、1986年〕。 2つの小区を結ぶため、両合区橋と呼ばれた。1892年に徳島市に寄付された後、1908年には木橋に改修された。 1927年に長さ53.1m,幅7.7mの曲弦トラス型式鉄筋コンクリート橋に架け替えられた際、両国橋に改称したという〔。1965年に再び架け替えて拡幅し、現在の姿となった。現在の両国橋は橋の欄干の端の所に阿波踊りの銅像がある。この道は、バス通りで交通量も比較的多い。 また、橋の南北にある「両国橋」と「両国本町」の町名は、それぞれ1942年と1975年から使用されている〔。光の八十八ヶ所めぐりに選定されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「両国橋 (徳島市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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